東北大学は、25年後には共通テスト(を含めた、いわゆるテスト)を利用した選抜方式(入試)から総合選抜(入試)に切り替える方針を示しました。
言い換えれば、これまでの様な学力テストをやめて高校までの成績や学内外での実績、論文(レポートの類)や大学入学以降の研究計画などに関する口頭試問などが入試の内容になると言えるでしょう。
2025年の18歳人口はおよそ100万人(110万程度と推計されていますが、わかりやすさのため100万人にします)だそうです。これが2050年には約70万人になると予想されています。
2025年度入試共通テストの志願者数は約50万人だそうですので、この数が維持された場合、25年後に大学受験を迎える人たちのほとんど(18歳人口の70%ぐらい)が「共通テスト」を受けて大学受験をする計算になります(なってしまいます)。
18歳人口のほとんどが大学に進学すること自体に「意見」を持つこともできますし、逆に18歳に限らず、人口のごく一部のみが大学に行くことについて「意見」を持っている人もいるでしょう。
おらが村だけの円滑な運営やモノづくりのためだけなら100人なり、1000人なりに1人だけ高等教育を受けて、おらが村のために貢献して頂ければよいかもしれません。ですが、現実は甘くないもので「世界の一流と競争(もしくは共創)しなければならない」ので1億総高学歴化などでなんとか対抗できるかもしれませんし、そうではないかもしれません。
とある研究会でシンガポールの興味深いルール(罰則付きなので条例か法律に定められている)について聞いたことがあります。かの国では、単純な知識を問うようなテストを実施することは禁止されており。罰則規定があるようです。例えば、「鎌倉幕府は何年に成立したか?」というような種類の「問い」をテストの問題にするのはご法度だということです。
当たり前かもしれませんが、多くの人は「よその国」の教育や学習について詳しくなれるほど興味や関心を持てるものではないと思います。科挙のようなテストに基づき受験戦争をしている国が世界の経済や技術や研究をリードしているものなのでしょうか。
私たち(日本人)目線から見れば「対して学力のない人たち」が世界大学ランキング最上位クラスの大学で研究をし国際社会の指導的立ち位置にいる様に見えてしまってもしょうがないような現実があります。
「持続可能な開発」という言葉がありますが、100年先の豊かさを確保するために必要なものは、そして確実にするのは教育なのだと思います。